お坊さんが、お金の話をします

正直に告白します。

このブログを始めたきっかけは、「アフィリエイトをやってみたかったから」でした。寺の収入とは別に、ネットで何かしら稼ぐ仕組みを作れないものか──そんな、わりと俗っぽい動機でスタートボタンを押したのです。

お坊さんがそんなことを言うと、がっかりされるでしょうか。でも、これが本当のところでした。

書いているうちに、変わってきた

ところが、いざ記事を書きはじめてみると、予想していなかったことが起きました。

格安SIMの比較や、節約のコツを書いているうちに、ふと「今日の法事でこんなことを感じた」とか、「檀家さんとのこんなやりとりが心に残った」とか、お金とは関係のないことまで、書きたくてたまらなくなってきたのです。

気がつけば、アフィリエイトのための器だったはずのブログが、自分の気持ちや、日々の仏事や、ときには夜中にふと考えてしまうようなことまで、こぼれ落ちていく場所になっていました。

人に何かを伝えようと言葉を選ぶという作業は、どうやら、自分自身と向き合う作業でもあったようです。これは始める前には分かっていませんでした。

私は、こんな和尚です

あらためて、自己紹介をさせてください。

私は寺の住職です。日々、法事や葬儀を勤め、檀家さんのもとへ足を運び、お寺を守っています。それが本業です。

そのかたわらで、ちょっとした副業もしています(内容はここでは伏せておきますが、まじめなものです、念のため)。そして、家計の資産運用にも取り組んでいます。少しずつコツコツと、将来のために。節約も、けっこう本気でやっています。

つまり私は、お経も読むけれど、家計簿もつける和尚です。仏さまに手を合わせながら、つみたて投資の積立額も気にしている。そういう、わりと地に足のついた坊主なのです。

「お坊さんがお金?」という違和感について

ここで、多くの方が抱くであろう違和感に、正面からお答えしておきたいと思います。

「お坊さんって、お金とは無縁の、清らかな存在じゃないの?」

──気持ちはよく分かります。私たちには「清貧」のイメージがありますから。けれど、これははっきり言って幻想です。

お寺を維持するにはお金がかかります。屋根は傷み、本堂は古び、修繕には何百万、何千万とかかる。私にも家族があり、子どもがいて、生活があります。

大きなお寺で、お寺のことだけしていれば不自由なく食べていける——そういう寺ばかりではありません。二足三足の草鞋を履いていかないと、お寺を守っていけないのが現実です。

お金の問題から目をそらして「清らかなお坊さん」を演じることのほうが、よほど不誠実だと私は思っています。

そして、ここが大事なところなのですが──仏教は、お金そのものを否定していません

否定しているのは、お金への「執着」であり、際限のない「欲」です。お金を正しく扱い、必要な分を蓄え、無駄を省き、人のために使う。それはむしろ、迷いの少ない、すっきりとした生き方につながります。お金に振り回されないために、お金のことを知る。これは立派な仏道の一部だと、私は考えています。

このブログで、書いていきたいこと

そんなわけで、このブログには二つの顔があります。

ひとつは、お金の話。節約のこと、格安SIMのこと、資産運用のこと、将来に向けたお金の備えのこと。私自身が試して、悩んで、たどり着いたことを、等身大でお伝えしていきます。難しい専門用語ではなく、隣のお寺の和尚に縁側で聞くような、そんな気軽さで。

もうひとつは、僧侶としての独白。法事で感じたこと、仏事の意味、生と死のこと、そして夜中にふと訪れる、言葉にしにくい感覚のようなものまで。お金とは正反対の、けれど私にとっては地続きの話です。

お金の話を読みにきて、心の話に出会ってしまう。心の話を読みにきて、ついでにお金が少し貯まる。そんな、欲張りなブログになれたらいいなと思っています。

最後に

清貧を装うお坊さんでもなく、お金に目がくらんだお坊さんでもなく。

お金のことも、心のことも、どちらも正直に語る和尚が、ここに一人います。よろしければ、しばらくお付き合いください。

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